イタチのオヤジの日常

2018年10月

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今月初めの台風の余波で、各地でサクラ(ソメイヨシノ)が狂い咲きしているとニュースで知り、神田川沿いを高井戸から永福町までぶらりと流してみましたが、見つかりませんでした。
特に被写体もなく、流れでサカナを狙っていた目つきの悪いサギを、一枚。

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小学校低学年くらいの子供たち10人余りが、仮装をして集まってました。
当然なのでしょうが、元々少ない男の子を圧倒して女の子の方が明らかに気合が入ってました。
『魔女宅』の主人公の女の子に扮したなど、多分お母さんが衣裳を用意したのでしょうが、「なり切り感」ばっちりでした。

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この時期に、境内のジュウガツザクラが必ず咲きます。しかしながら、丁度、菊の展示会の真っ最中で、目を止める人はほとんどいません。

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実のなる雌木のイチョウの樹がやたら多いわけではありませんが、銀杏拾いの人気には変わらぬものがあるようです。緑地公園の水飲み場や、トイレの手洗いには、この表示が。

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爽やかな晴天、会社も休みなので、近場の散歩に出かけました。
立川から多摩モノレールに乗って玉川上水駅で下車。玉川上水沿いに三鷹を目指して歩き始め。
西武国分寺線を越えて、歩いて行くと、歩道に突然、立坑(の地上出口)の小屋が現れます。武蔵野線は地下を通っているので、非常用脱出口なのか、地上部の出口がここに設けてあるものらしい。
そのあと、僅か1時間10分、西武多摩湖線にぶつかったところでギブアップ。三鷹など、いまの体力では、到底無理。

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宿の送迎バスで、JR西戸崎駅まで送ってもらいました。
駅のエントランスは近代的なのですが、やってきた折り返しの車両は、旧国鉄のモノを改造の2両編成のジーゼルカーです。博多湾をぐるっと回りこむように走って、香椎駅を経て、おそらく生涯二度と降りることのない香椎神宮駅下車。
35年ぶり?に香椎宮に詣で、「軍艦香椎」顕彰の碑などを確かめて、いつの間にかおしゃれなブティックなどが増えて様変わりした参道を小雨の中歩き通して、西鉄の香椎宮前駅まで歩きました。駅は近代的に変わって、ここも往時の面影なし。
上り電車で名島川鉄橋を越えて、貝塚で市営地下鉄に乗り換え、箱崎宮前下車。筥崎宮に参詣。昭和56年9月の「放生会」の夜のアセチレンライトの光と喧騒、祭りの賑わいを思い出しつつ。

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ふ頭で、市営渡船を待つ。
出港後、曇り空に海も鈍い鉛色。
宿は、「休暇村志賀島」を予約しました。

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昭和56年の暮れの竣工時、あれ程までの威容を感じた県庁舎が、今はくすんで小さく見える。九州一の雄県の県庁舎が、この規模で良く収まっているな、と妙な感心をしてました。亀山上皇と、日蓮さん、二つの立像は、今も昔も変わらない威厳を感じさせます。

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昭和56年4月、初めて九州の地を踏んでから1年間だけだったけれど、暮らした街の余りの変容に、ただ言葉を失う。6戸のみの小規模な集合住宅も、毎日のように通った国道三号線沿いの定食屋も、駅前の理容室も、酔っ払ってブランコを漕いだ公園も、一掃され面的にすべて変わって、堂々たる近代的な市街が現出。
国道の歩道に、わずかに残されたプレートに、往時を偲びました。

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駅の佇まいは、余り変わっていないものの、特急の停車駅が増えて、「薬院」「大橋」にも停車するようになっていました。車両も、転換クロスシートではあるものの、2ドア―でなく3ドアーになっていました。

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