イタチのオヤジの日常

2009年04月

GWの谷間の平日ですが、不況でロクに仕事も無いので、今日は休暇をとりました。
昨日の稲荷山コースのダメージは、さほど感じられません。むしろ時間を置いて、明日あたりから酷い筋肉痛に苦しめられるかもしれません。

庭のカクレミノの株元のシランが、開花し始めました。植えつけて4年、そろそろ掘り起こして株分けしてやらないといけないのかもしれません。花の数が余り増えません。
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セイヨウシャクナゲの蕾から、花の色が覗き始めたと思ったら、気の早いやつは開き始めました。
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鉢植えのイチゴ、すこしずつ実が大きくなっています。ただ、改めて数えてみると、実の数は知れたもの。株によっては、明らかに多すぎるものがあります。適宜、摘果したほうが良いのでしょうか?
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昨4月29日で、本ブログを開設して、丸3年になりました。

ガーデニングは、沈滞気味です。もう、これ以上、植えるスペースはなく、何より、庭がごちゃごちゃして「スッキリ」感に欠ける。狭い庭ほど、主木はかえって大きいものをドーンを据えよ、小さい木を詰め込みすぎるな、と言われている事の意味が、実感としてよく分かります。
いささか熱意を失いかけた人間の勝手をよそに、季節が巡れば、植物は芽吹き、花を咲かせ、実をつけ、そして枯れていきます。俄か庭師が一向に面倒を見てくれないからといって、他の庭へ移動の自由がない植物のことを思えば、「飽きた!」と言って放り出すことは許されません。
義務感で庭仕事をするのは、楽しくないので、「見た目すっきり、お手入れ省エネ」の庭の実現を目指して、工夫をしたいと考えています。

川歩きは、新規開拓は、多摩川水系+隅田川以東に求めることになりそう。特に、墨田・江東・江戸川区あたりの旧運河など水辺の面影を訪ねてみるつもりです。
山は、昨年5月以来、高尾山にコースを変えつつ4回登りました。次は、影信山に脚を伸ばしてみようか、陣馬山はまだまだ体力面含めて無理そうなので。

一時ほど、C級グルメ系の店の探訪に意欲が湧かなくなってきました。不景気で、資金ショート+体重の持続的増加、ちょっと油断するとあっという間に増えてしまう体質に、いきおい控えめにしなければならない悲しい事情が在ります。

今回は、リフトで清滝へ降りて、午前11時。朝飯が午前6時だったので、腹が空いています。
というわけで、以前一度入ったことのある「高橋家」さんの暖簾をくぐりました。

幸い、テーブル、奥の小上がり(畳席)ともに空が在り、トレッキングシューズを脱いで畳の席へ。

まずは、ビール。アサヒ「熟撰」の中瓶を注文。なぜか。普通のスーパードライは置いていません。
ウグウグと、この一杯のために、水筒のお茶も飲まずに我慢してきたのですから!
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蕎麦は、温かい「天ぷらそば」。ちなみに、天麩羅はオカ天で、海老・しし唐・舞茸・かぼちゃといったところ。もう一人は、シンプルな「せいろ」の大盛り。
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オマケに、冷たい「とろろ蕎麦」の小(ハーフサイズ)を注文。「ぶっかけ」スタイルで、ジュンサイをアクセントに載せていました。
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何れのメニューも、美味しく頂きました。ごちそうさまでした。

ブタ・インフルエンザの影に脅かされる連休の滑り出しです。
7時過ぎに家を出て、8時20分には京王線・高尾山口駅に到着。みんなホームから改札階へ降りると、先をを争ってトイレへ。この調子では、きょうも何処へ行ってもうんざりするほどの人混みを覚悟しましたが、結果的には昨年12月27日のケーブルの清滝駅前広場を埋め尽くすような混雑にはお目にかかりませんでした。
今日のコースは、初挑戦の稲荷山コース。ケーブルの駅のすぐ横から、急な階段状ののぼりが始まり、尾根筋を辿って稲荷山(標高約400メートル)を経て山頂に至ります。ふれこみほどきつい山道とは思いませんでしたが、最後、山頂直前、急な階段状ののぼり道は足の筋肉は破壊する厳しさがありました。
結局、標準的所要時間90分のところ、おじさんのヘタレ足で65分で到着。
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山頂は、まあ普通の人出でしょうか。12月、冠雪して青空をバックにくっきりと稜線を見せてくれた富士山も、春霞なのか、「もや」がかかっているようです。
※参考まで:12月27日、高尾山頂からの眺め
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くだりは4号路、吊り橋を渡るコースを辿り、浄心門からは1号路で「蛸杉」の前を通って、最後はリフトを利用しました。
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桜はとうに散りはて、かといってツツジには少し早い。谷あいの斜面で、シャガが咲いていました。
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今日、酒を我慢して、禁酒日の累計が15日になりました。4月も3日のこして達成しました。
問題は、来月。休みの日が多いと、どうしても酒を飲みたくなります。

庭に地植えして5回目の春を迎えた、ピンクの花色のシャリンバイが、たくさん花を付けました。
ただ、何かおかしい。名前の由来のように、車輪のように丸い花をつけ、梅の花に似た趣のはずが、花びらが縮れているというか、しわしわというか、どう見ても梅の花ではありません。去年も、パキッと咲きませんでした。何が悪いのか?NHKの「趣味の園芸」の相談室に聞いてみようかしらん。
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レモンの白い花が、一輪、開花しました。
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例年の如くに、順を追って入れ替わり立ち代り、開花が進みます。
次の候補は、シランとセイヨウシャクナゲあたりでしょうか。

昨日と打って変わって、晴天ですが、風が強い。昨夜、大学・教養部時代のクラスメート9名でミニ・クラス会をやり、相当酒を飲みました。長野・松本からわざわざ上京してきた男と、彼の宿泊先のホテルのバーで、2次会。結局、日付が変わるころに、ようやく帰宅しました。今朝は8時半まで寝過ごしてしまい、身体も重いので、水泳は中止。
午後から庭に出て、約3時間半、庭仕事。気温高めですが、風が心地よい。加えて、まだ、藪蚊の攻撃がないので、快適です。

時間のかかるアセビの花穂切りを、何とか済ませました。「使用前」の写真を撮っておかなかったので、比較で示せませんが、樹全体で花が咲いていた枝のすべて、結実して樹が弱らぬように、ひとつひとつ手作業で切っていきます。根気の要る作業です。これだけで1時間半くらいかけてしまいました。努力の甲斐あって、スッキリしました。
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同様に、クンシランの花茎を切り忘れていたので、4鉢とも手当てをしました。
カナメモチが、新芽を出し、やたらと伸びてしまったので、刈り込み。
ユキヤナギは、樹形が乱れてきってしまったので、教科書に書いてある通り、株元で切り揃えました。剪定ばさみでは切りきれず、ついに大工道具のノコギリ登場。
ドウダンツツジも、花が終わったところで手入れしてよいとのことで、4本の高さが均一になるよう、伸びすぎのものを選んで胴部を刈り込み。
雑草もはびこってきました。ドクダミ、カタバミなど、地下茎組が相変わらずしぶとい生命力で悪戦苦闘が続きます。

結局、ゴミ袋にして2袋分の枝や草を出して、3時間の作業が終わりました。腰が痛い。これなら、プールで泳いでいる方が楽だったかもしれません。
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今週は、半業務の飲み会のあった火曜日を除いて、今日まで酒を我慢。
結果、4月の禁酒日の累計は14日となり、今月も5割達成がほぼ確実になりました。

今日は朝から晴天です。庭に出てみると、ドウダンツツジやナルコユリの花には、ミツバチ?ほか虫がたくさんやってきています。

○イチゴの鉢ですが、ここ3週間ほど実生りを良くしようと、液肥をやっています。次々と花が咲き、いくつかは実が形になってきました。昨年は、累計で20粒に達しませんでした。今年は、もう少したくさん収穫したいものです。
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○レモンの花芽、というか蕾が目立ってきました。蕾のときは赤紫色の独特の色ですが、花は白色です。
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○ギボウシが芽を出しました。随分遅いように感じます。街中を歩くと、美しい葉を茂らせている株を、花壇でよく見かけます。
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○先月、文春新書の「山縣有朋」を読み、大変面白く、啓発されることが多く、ページ数も気にならず読み通してしまいました。対比する意味で、「従来の山縣有朋象」としての岩波新書・岡義武著「山縣有朋」を、こちらは仕方ないので図書館で借りてきて読みました。
その山縣有朋の墓が、護国寺に在ることを、この歳まで知らなかったのは、なんとも迂闊。自称「お墓ウォッチャー」の私としては、是非、この目で見てみようと思い立ちました。

○ネットで調べても、護国寺の墓苑の配置はわからず。仕方がないので、本坊で受付の方に尋ねたところ、地図に印をつけて丁寧に教えてくださいました。

○頂いた地図によれば、意外にも、本堂からかなり離れた一角にありました。塀をめぐらしたかなりの広さで、鳥居もあって、ちょっとした神社並み?の構えです。あるいは、平林寺の松平信綱のお墓を思い出させる立派さです。
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○敷地の奥に、有朋のお墓が、夫人のお墓と並んで立っています。墓碑銘を正面から読めず、ぐるりをめぐって、塀の風抜きの隙間から、やっと読めました。
「元帥公爵山縣有朋墓」意外とシンプルに、終身、与えられたものだけを彫ったのでしょう。といっても、本人がやらせたことかどうかは、不勉強でわかりません。従一位功一級元帥陸軍大将内閣総理大臣枢密院議長・・・彫り込もうと思えば、有朋の場合、無限に続けられそうです。これまで見てきたお墓の中で最上のものと考える「森林太郎墓」の簡素さ、これには遥かに及ばないものの、この墓苑に並ぶギラギラ感ただよう明治の元勲のお墓の中では、「悪くない」というのが、私の評価です。
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○ついで、といっては何ですが、地図を頼りに訊ねたお墓。まずは、大隈重信です。
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○三条実美。明治政府初期の太政大臣。のち、初代?の内大臣。
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○田中顕義。長州出身、山縣の元・ライバル。司法卿、伯爵。本堂に近い場所に、ひろ~い立派なお墓です。
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○ついでの、オマケ。下田歌子。生前から毀誉褒貶あった人物と聞いています。お墓の方は・・・どうもいけません。「従三位 勳三等」というのが、この場合、致命的に良くない(あくまで私見です)。
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○ひるがえって、庶民中の庶民たる我が家の墓は、と眺めると、う~む、狭い。山縣有朋の墓は、裕にこの50倍くらいの敷地でした。墓石に彫ろうにも、位階も勲等も、誇れる顕職歴もありません。結果としての「シンプル・イズ・ベスト」というところが、やがて悲しいです。
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○約1時間、広い墓苑をめぐって、いささか疲れたので、散歩終了。境内の八重桜が見ごろでした。
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