イタチのオヤジの日常

2008年11月

11月最後の日、神宮外苑のイチョウ並木の写真を撮りに行くつもりでした。庭の落ち葉が目立つので、久しぶりに庭に出てジューンべりーの枯葉を集めたり、風知草、ナルコユリ、ギボウシなどの地上部が枯れたのを取り除いたりしているうちに、タイミングを失してしまいました。
午後、手近なところで大宮八幡宮へ出かけました。境内の大銀杏が見事な黄金色に染まっています。
境内に「ジュウガツザクラ」と表示した樹があり、淡いピンクの花を咲かせていました。
そのあと、善福寺川緑地を上流部へ歩きましたが、午後は風がやや強くなり、行きかう犬を散歩させている人たちの装いも、冬支度です。

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晩秋から初冬へ、天気の移り変わりも小刻みになっています。今日は、風もない晴天。
かねて新聞や区の広報誌でPRされていた、南北バス「すぎ丸」の第三の路線、西荻窪と久我山を結ぶ「かえで路線」が今日から開通とのことで、『記念品進呈』につられ、わざわざ久我山駅北のピーコックの駐車場まで出かけました。
 思えば、高井戸に住んでいたころ、阿佐ヶ谷と浜田山を結ぶ最初の路線が開通。たしか、平成12年だったような。その後、浜田山と下高井戸駅間の「さくら路線」も加わりました。どちらも、何度も利用しています。直線で結ぶコースではないし、キャパの小さいバスはいつも混んでいるけれど(それだけ、成功したということなのでしょう。)散歩でちょっと疲れたな、というときなど便利しています。
 今度の「かえで路線」は、関東バスが運行をするようです。パスモ・スイカも使えるとのことで、小銭のないときも便利そう。いずれ乗車する機会はあろうから、今日は乗りませんでした。
 記念品:記念乗車券、地図、時刻表、手ぬぐい、クッキー、関東バスのペーパークラフトなどの袋詰めで、家族で3~4袋もぶら下げている人を多数見かけました。

世の中はなべて不景気、私の財布も同様で、飲み会のセットも出来ず、ましてやお呼びもかかりません。振り替え休日の24日を我慢した上、火・水(今日)と禁酒して、あと4日残して禁酒日率15/26と、あっさり五割を達成しました。
 これで、平成20年は1月から11月まで連続で五割達成。忘年会シーズンで試練のときになるはずの12月も、これだけお呼び無しでは、楽々達成かも?それも、ちょっと悲しいです。

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禅林寺を後に駅方向にもどり、太宰が昔よく利用した「伊勢元酒店」の跡が「太宰治文学サロン」になっています。此処に立ち寄って、ちょっとお土産(一筆箋)を購入。そのあと、再度、玉川上水沿いの「風の散歩道」へ出て、少し下流方向へあるき、これも見落としていた「玉鹿石」のモニュメントを確認。このあたりから、昭和23年6月、太宰は上水に身を投げたのだそうです。
考えてみれば、太宰の作品を、まともに読んだことが無い。
今回の雑誌『東京人』の臨時増刊は、なかなか面白く拝見しました。脱線するけれど、田中英光の「オリンポスの果実」が、太宰の指導でタイトルを変更して(原案は「杏の実」とのこと)送り出されたというエピソードが興味深かった。
これを機会に、太宰作品や、坂口安吾、田中英光など、読み返してみようか。
歩き始めから2時間、三鷹駅へ戻り、帰路に就きました。

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さらに大分歩いて、「禅林寺」へ。大イチョウは、もう大分葉を落としてしまっています。
太宰のお墓と、森鴎外のお墓におまいりをしました。
毎度のことながら、太宰のお墓は、花、酒、タバコなど色々なお供えが。
森鴎外のお墓は、百合の花束一対のみ。簡素なお墓のたたずまいに、ぴたっと決まっています。 

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さらに上水に沿って歩いていくと、「松本訓導殉難碑」、かなりの大きさなのに、これまで気にも留めませんでした。大正時代に小学校の児童が玉川上水で溺れ、これを助けようとして自らも殉職された先生の碑です。
万助橋を越えて暫く歩き、山本有三記念館の先を左折して「平和通り」という通りをしばし南へ歩いていくと、みたか「井心亭」があり、通り沿いの生垣から百日紅、かなり幹の太いものがあります。この樹はもともと「井心亭」の通りを隔てて反対側にあった太宰の旧居の庭に植わっていたものだそうです。
 

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午前中は何とか天気はもちそう。雑誌『東京人』12月増刊「保存版 三鷹に生きた太宰治」を読み、これまで何十回と歩いた玉川上水経由三鷹という散歩コースで、見落としていたものが沢山あることを知り、歩いてみたくなり、出かけました。
 玉川上水も、意外と紅葉が進んでいません。それでも、散歩の途中にいつも立ち寄る野菜の即売スタンド、顔ぶれは、ラディッシュ、ジャガイモ、カブなど、すっかり変わりました。
 明星学園前の「新橋」、ここが入水自殺した太宰のなきがらが引き上げられた場所だそうです。
 このあたりの流れは、とてもゆるやかで「人食い川」の面影はありません。もちろん、モニュメントのようなものもありません。モミジが一本、紅葉が奇麗でした。

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11時少し前にケーブルカーは高尾山口駅に着きました。が、ホームは折り返して山上へ向かおうとする客が行列。さらに、改札口は札止め状態。チケットの券売機の前から駅舎前の広場に順番待ちの行列がびっしりと埋め尽くし、おそばの「山口家」さんの入り口付近まで。京王線の駅のほうからは、ひっきりなしに客がやってきて、流れに逆らって京王線の駅方向へ進むことが困難です。
 こんな調子では落ち着いて蕎麦も食えまいと、昼食の目論見の「とろろそば」を断念。
 やっとこ駅に辿り着き、11時14分発の北野行きの電車(北野から準特急・新宿行きになりました。)で帰路に就きました。
 北野までの駅ですれ違う高尾山口行きの電車は、どれも満員。高尾駅では、JRからの乗り換え客か、混雑の余り乗りそこなう人も見かけました。
 10分間隔で、4扉の通勤用大型車両で10両編成の電車が都心方面から大量の客を運んでくるのに、7分間隔のケーブルカーとリフトでは、ボトルネックで人が滞留してしまうのは、当然のこと。トイレ、特に女性用は、どこでも長蛇の列です。
 京王電鉄も、「ミシュラン」を契機に高尾山をPRするのは結構ですが、ちょっとインフラ整備が不十分では?それとも、一時の「はやり」と割り切るなら、沿線各駅で現地の混雑状況などを、よくよく周知すべきでは?お子さんや、お年寄りには、いささか無理のある光景でした。

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これまで5回、高尾山に登り、相模湖側に抜けたことはあるものの、山口と山頂の間は、1号路か、ケーブル・リフト利用かでした。そこで、今回は、コース途上に吊り橋のある「四号路」をたどることにしました。
 総じて道幅が狭く、手すり、ガードの類はないので、ところどころ木の根が盛り上がったり、歩きにくい階段状のところがあったり、足もとがしっかりしていないとちょっと心配です。ただ、1号路の薬王院内は「お寺めぐり」で山歩き気分にならないのと、好対比です。
 途中の吊り橋も、かつておっかなびっくり渡った十津川?の「谷瀬の吊り橋」のような恐怖感に襲われることもありませんが、ちょっとしたアクセントでしょうか。
 ガイドマップの記載通り、40分で1号路の石段の下に出ました。
 ここからケーブルカーの山上駅まで戻り、少し待って(本日は、ケーブルは7分間隔で運転していました。)、満員の登山客を乗せて到着したケーブルに乗り、折り返して山口駅へ。
 ケーブル軌道の両側のモミジは、11月下旬でもまだ少し早すぎるのか、緑色の葉をしている樹の方が多いようです。

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今日は朝からいい天気で、おまけに予報では明日は雨らしい。せっかくの三連休、思い切って高尾山に登ることにしました。高尾山口の駅に降り立つと、すでに構内のトイレに長蛇の列。改札口の外も、団体さんが多数集まり、登山道(一号路)の入り口へ向かう道も、「雑踏」状態です。「ミシュラン」の☆がついて以来、大人気とは聞いていましたが、いささか驚き。
 GWに登ったときの経験から、三段伸縮の杖を用意しておいたし、ケーブルの山上駅までが傾斜がきついことも分かったので、顎を出さないようペース配分に気をつけたので、山登り(というのは、いささか大げさですが)自体は、順調。ただ、陽射しがあり、風もないので、途中から暑くて、ジャンパーを脱いでも汗だく状態。30分で山上駅付近、さらに、石段を上って「薬王院」におまいりし、さらに境内を奥の院方向へ登って、1時間で山頂に到着しました。
 山頂も、人出がすごい!ただ、人波越しに西側にひろがる、青空をバックに冠雪した富士山の眺望が、実に素晴らしかった!
 山頂のモミジの紅葉も、色鮮やかでした。

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