イタチのオヤジの日常

2008年10月

昨夜、午前二時ごろに目覚め、枕もとで点け放しにしていた「ラジオ深夜便」で、シューベルトの「魔王」が流れてきておもわず聞き入ってしまいました。中学の音楽の時間以来、実に38年ぶりのことです。目が冴えて、4時くらいまで眠れませんでした。以前なら、冷蔵庫から350mℓの缶ビールをプシュッとやるところですが、目標達成のためには、そうもいきません。
今日は、早いとこ就寝します。
結果的に、今日、酒を我慢して、禁酒日率16/29。こうして、今月も、二日残して五割を達成しました。

昨夜、午前二時ごろに目覚め、枕もとで点け放しにしていた「ラジオ深夜便」で、シューベルトの「魔王」が流れてきておもわず聞き入ってしまいました。中学の音楽の時間以来、実に38年ぶりのことです。目が冴えて、4時くらいまで眠れませんでした。以前なら、冷蔵庫から350mℓの缶ビールをプシュッとやるところですが、目標達成のためには、そうもいきません。
今日は、早いとこ就寝します。
結果的に、今日、酒を我慢して、禁酒日率16/29。こうして、今月も、二日残して五割を達成しました。

木・金・土と、今日も我慢して、禁酒日率14/27と、勝ち星先行。あと4日のうち2日我慢すれば、今月も5割達成です。

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今日は、本当に珍しいことなのですが、日帰りで京都まで出張に行ってきました。
初めて東海道新幹線の「N700系」車両の「のぞみ」に乗車。帰りが従来の「700系」で、対比で良く分かりましたが、静穏性・安定性(ゆれない)・車内の内装が落ち着ける等々、JR東海が売り物にするだけのことはあると、高く評価しました。
帰路は、京都を19時少し前に発ってきたのですが、車内でビールの「あて」と、晩飯を兼ねて、京都駅の売店で鯖寿司を買おうとしたら、「いづう」の鯖寿司4410円。う~ん、我が目を疑いました。それにしても中途半端な価格設定だが、1.05で割り戻すと、4200円。いいお値段です。いつかは躊躇わずに手を伸ばせる身分になりたいもの。
結局、同じ売店に売っていた、廉価版の「鯖寿司(小)」で我慢しました。それでも、近くのスーパーのフランチャイズすし屋のバッテラ・420円のやせこけたぺらぺらの鯖よりはるかに美味かった。十分満足しました。

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先月の下旬くらいからイチゴの鉢の一つに、数輪の花が咲いていました。今日眺めると、二つは結実しなかったようですが、一つ、中途半端な大きさに育ちかけているものがあります。ただ、色も悪く、はたしてこのまま熟すものかどうか、不明です。
庭の樹高1メートルくらいのハナミズキ、実が真っ赤になりました。

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昨夜は、ロクにつまみも食わずにビールばかり飲んで、今朝の起床時は頭が重い。天気はいまひとつですが、家の中でダラダラしていても仕方なので、玉川上水を歩くことにしました。
国学院久我山中高の辺りまできて、ふと、昨年売り切れで買えなかったギンナンの事を思い出し、「北本宿通り」を西へあるくと、じきにゴルフ練習場がみえてきます。此処のクラブハウス?で訪ねると、ありました、残り2袋のみ。このゴルフ練習場の敷地にイチョウの樹が多数植えてあります。ここの樹から採れたものだけかどうかはわかりませんが、三鷹の名産として、この時期に特売しているモノです。
目的を達成して、再び玉川上水へ戻りましたが、禅林寺までのウォーキングは断念し、帰宅しました。

午後6時から、「中央デパート」(いまや、単なる古ぼけた雑居ビルですが、建ったときは大宮市役所を抜いて、市内で一番高い建築物だったと記憶)の5階、「徳樹庵」という和食系のチェーン店の個室で、30人弱が出席。担任いただいた先生も御年73歳になられましたが、お元気でご出席になられました。
 男たちの経年劣化の激しさ。私も他人のことは言えないのですが、同一人と特定できないほど禿げ上がった者が相当数あり。他方、体型も挙措動作・雰囲気も全く変わらず若々しい奴も数人。それでも話しているうちに、35年前の記憶が次々に蘇り、皆、それぞれに年輪を重ねてきているのを実感しました。
 女性軍は、一見してあの子と分かる者が多い一方、化粧技術の効果も加わり、変貌が著しく別人としか思えない者数名あり。
 2時間、互いの近況報告やら昔話やらで懐かしく過ごし、8時半ころから幹事さんが手回し欲用意していた二次会場に席を移して、10時半近くまで歓談しました。
 名簿でみても、男子でも、相当数が地元で就職したり、都内勤務でも大宮から通勤しているのか、移動率が比較的低いのが意外でした。特に、地元の商店街で商売をしている何人か中心に、結構、頻繁に会って酒を飲んだりする濃密なネットワークが保たれていました。もともと、本来の学区の外から越境してこの学校に通っていた私としては、今更ながら、自分の立ち位置を確認したようなものです。担任がいみじくもご挨拶でおっしゃっていましたが、我々もいずれ職業生活からの引退過程を辿っていくとき、地域の人の輪があった方が生活が充実するのは、自明のこと。私の場合、それを大宮に求めるのは無理な上、現在住んでいる杉並の地で、そうしたものをこれからつくるのことも、いささか難しいようです。
 女子の4年制大学への進学者は、確認できたのは、20余名中2名のみ。男女雇用機会均等法よりはるか以前の我々世代としては、普通のことかもしれません。短大を出て職場で配偶者を見つけ、結婚を機会に専業主婦になり、全国転勤も経て今は首都圏で幸せに暮らしています、という奥様タイプが数人。高卒で、事務、販売など地元企業に就職、子育て終えて、パートとサークルで頑張ってます、というタイプが一番多いようでした。そうした「突きぬけ」事例としては、サークル活動なのかNPOだかから選挙を経て地方議員になった者まであり。その子から「元市会議員」の名刺を渡されたのには、困惑。住民でもなく選挙権もない、余り政治向きの話には係わり合いになりたくないので、自分の名刺は渡しませんでした。
 一番胸を痛めたのは、とある女子が、以前の可愛かった豊頬がすっかりやつれてしまっており、聞けば胃の全摘術を受けた、今もアルコールは医者に止められているとの話でした。お子さんが二人とも優秀でその卒業を楽しみに頑張っている彼女の気丈さに、「こころなき」わが身にも、深く動かされるものがありました。
 22時半すぎ、埼京線のりんかい線直通・新木場行きとしては最終となる電車で、大宮を後にし、日付がかわったころ、帰宅しました。

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昨日18日は、32年ぶり?の中学の3年生のときのクラスの同窓会で、午後3時ころ、JR大宮駅に降り立ちました。実家には、ならせば二月に1回のペースで顔を出しているのですが、大宮の中心部の街を歩き回るのは、20年ぶりくらいになります。
 東口を出て、「中央通り」をあるいていくと、私が中学生のころから健在の店は随分少なくなってしまいました。町の個性も消え、何処にでもある地方中核都市のありふれた町並みが続きます。
ゆっくり15分くらいかけて、母校の「大宮市立東中学校」(今は、正しくは「さいたま市立」ですが)に到着。木造の旧校舎は通り側からみる限り跡形もなく、敷地内立ち入りははばかられ、正門あたりから写真を撮って、引き上げました。
そのあと、氷川神社の参道へ戻り、ケヤキの大木が鬱蒼と続く長い道をひたすら歩きます。
参道両側の戦後の闇市の名残を留めていたバラック風の商店の数々が一掃され、荘厳な雰囲気を取り戻しました。朱色が鮮やかだった大鳥居の色はくすみ、よく景色に馴染んでいます。
氷川神社に20年ぶりに参拝。二礼二拍手一礼で、音高く拍手をうち、あらためて故郷の神(といっても、「旧武蔵之国一之宮」です。今住んでいるあたりも当然、武蔵之国なので、いわば管轄区域内でs。)に祈りました。
 そのあと、大宮公園一帯、ボート池の周りを一巡り。いまや、ボート乗り場は姿を消し、人出の少なさもあって、ややさびしい秋のたたずまいです。中学3年生の全校マラソン大会、県営陸上競技場を始終点に、ボート池の周囲を男子は二周するコースを、歯を食いしばって走りぬいたて、確か17~8位でゴールしたときの達成感。当時は、中学は8クラス、男子で160人以上いました。運動では全くいいところがなかった私の、数少ない勲章の一つです。
 往時を思い出し、これから再会する同級生たちは、卒業から35年、それぞれどのような人生を送っているだろうかなど思い巡らしているうちに、東武野田線の大宮公園駅に着き、電車で大宮駅へ戻りました。

先の三連休飲んでしまったので、火・水・木、そして今日と、何とか我慢して、禁酒日率9/17と、五割水準まで戻しました。
明日は、中学校3年生のときのクラス会が、実に32年ぶりに郷里(といっても、さいたま市ですが)の低級料理屋で開催されます。お互い見分けもつかないくらい劣化しているという冷厳な事実を確認するために行くようなものでしょうか。

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三連休、気象予報士たちの自信たっぷりの予報が見事に外れ、土曜日の運動会は開始時刻の繰り下げのあと、結局、中止・翌日に順延。お陰で、日曜日は二箇所掛け持ちする羽目に。
今日は、朝方、「体育の日」だからというわけではありませんが、一時間ほど公園でキャッチボールをしたら、もう早速、筋肉痛!遠出はやめて、一日ごろごろしていました。
夕方、冬越しに備えて、クンシランの鉢に液体肥料をやった後、ヒメリンゴの実を取り入れ、ひとつだけ皮を剥いて食べてみました。小さく、固く、果肉は青っぽく、口に含むと「酸っぱい!」。
甘みが勝った「ふじ」などが出回るまえの昔のリンゴよりも、もっとずっと酸っぱい味でした。新鮮・取立てなのは間違いないのですが。

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