イタチのオヤジの日常

2007年11月

今日も疲れる一日でした。この3日ほど陽の光を浴びていません。気分が滅入りますが、昨日に続いて今日も酒を我慢し、11月の〆は、禁酒日率17/30でした。

昨日・今日と酒を我慢して、禁酒日率15/28と、これで二日残して10月に続き今月も目標達成です。ただ、減量面の効果はというと、腹のバラ肉をつまんだ感じからすると、夏以降体重は殆ど落ちていないどころか、アブラがのってきたような・・・。矢張り7月上旬の喉風邪り患後、区民センタープールからすっかり足が遠のいてしまっていることが原因かもしれません。これだけ気温が下がってしまうと、水泳の再開は、意志薄弱な私には当分無理のようです。

結局、昨夜も最後まで見てしまいました。視聴率は土・日とも23%ほどだったそうで、興行的には成功だったようです(膨大な制作費の元は取れたのか、私には良く分かりませんが。)。個人的感想を申し上げれば、同じく清張原作・野村方太郎監督の映画「砂の器」は、原作の「挟雑物」(たとえば、殺人音波、これに関連する路傍に犯人がわざと落とした「失業保険業務統計」のエピソードなど)を切り落とし、骨太な主題を生かすことに集中して完成度を高めていたように思います。その意味で「原作より映画が素晴らしかった」ことに比較すると、昨日もコメントしたとおり、原作の陥穽を埋める努力をしているものの、原作の「味わい」が変質してしまっていたように思われ、やや残念でした。私の見るところ、鳥飼重太郎にたけしを持ってきた瞬間に、秋田訪問や、箱根の宿を突き止めたり、スーパーマンのような活躍が必要になり、結果的に三原刑事他の登場人物とのバランスが崩れ、原作の味わいが失われてしまったように思えてなりません。「張り込み」「鬼畜」など、明らかに核となる真の主役が唯一人いて、そこにたけしを据えて所期の成果を得たことは間違いないにしても、だからといって「点と線」にたけし主演というのは、本当に適役だったのか、ひねくれ親父の小生には、疑問に思えてなりません。さらに、純粋に技術的な揚げ足取りを申し上げれば、鳥飼刑事の人物像が矛盾していること。昭和32年に52,3歳(ということは、昭和20年の敗戦時に40歳オーバー)であって、中国大陸で十年以上応召していて,かつ階級が「上等兵」ということは、少なくとも旧軍の徴募システムからしてありえないのではないでしょうか。加えて、右肩をぎこちなく動かす仕草、其の原因はグラマン戦闘機の機銃弾が4発、体内に残ったまま、あえてこれを摘出しないという説明も、中国大陸から仏印(ベトナム)に転戦し、再度中国に戻ったと言う戦歴からしても、一体何処で米海軍の艦載戦闘機の機銃弾を受ける機会がありえたのか・・・?些事ではありますが、鳥飼刑事の正義感・刑事魂の背景に戦争体験があるような説明になっていたことからすれば、もうすこし、「詰めて」欲しかったと思い、残念です。

新潮文庫版を、テレビ朝日のビートたけし主演のドラマ放映を機に、読もうと思いましたが、すぐに出てきません。ドラマの方は、文庫本の末尾に収載の解説(文芸評論家・平野謙氏)で指摘されていた、この傑作推理小説の重大な欠陥を埋める試みがなされていました。何故、犯人は佐山課長補佐とお時を空白の4分間に東京駅15番ホームを歩かせることが出来たのか、鳥飼刑事が殆ど推論のみで見抜いてしまう、おまけに秋田まで出張っていって、お時の母親の口から安田と一発で特定されるような愛人の存在を引き出してくる・・・。うーん、と言う感じです。無理やり上京して犯人を追う鳥飼刑事・・・。今夜の続編を見て見ないとなんともいえませんが、安田夫婦、とくに女房の亮子の像がどういう描かれ方になるのか、興味があります。あと、国鉄・西鉄の香椎駅間の距離と目撃証言から二組の男女の存在を鳥飼と三原が割り出すところは、原作を読んでいない視聴者には分かりにくかったろうと思います。

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昨日の立会川に続いて、目黒川も踏破!昨年秋に馬事公苑から蛇崩川緑道を中目黒駅付近の目黒川合流点までたどり、そこから目黒川を上流方向に烏山川・北沢川両緑道の分岐点まで歩きました。烏山川緑道と北沢川緑道は何度も歩いています。ただ、自信が無いのは、両方とも、最上流部は、どこかで玉川上水の烏山分水・北沢分水と、どこかでつながっているはずなのですが、そこのところがよくわかりません。まあ、アバウトな話としては、一応、河口・天王洲運河まで、完全踏破としておきます。これで、城南地区の川歩きは「呑川」の中流部を残すのみとなりました。

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さらに川沿いに歩いていくと、京浜急行線の高架線をくぐり、河口の天王洲を目指します。途中、「荏原神社」が川沿いに鎮座ましましており、お参りしました。桜並木は続いているのですが、余り面白い見ものもなく、神社仏閣もこの神社のほか東海寺(河沿いに山門がなく結果的に通り過ぎてしまいました。)くらいでした。最後の橋「昭和橋」を越えると、公園があり、天王洲アイル地区とを結ぶ「アイル橋」というつり橋が掛かっています。橋の上からは、目黒川の河口が見渡せ、反対側は本来海だったのでしょうが、さらに埋立地が広がり、高速道路や羽田行きのモノレールが見えます。天王洲アイルは、華々しくオープンしてから何年たったのでしょうか?ここまで、中目黒駅から1時間半。「りんかい線」の天王洲アイル駅から埼京線直通の快速に乗って、帰途に。ほんの15分程度で渋谷駅着。鉄道は偉大です。

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昨日よりは気温も高く、陽射しの暖かさが感じられる土曜日、8時45分に東急東横線の中目黒駅をスタート、目黒川に沿って河口の天王洲アイルを目指します。川幅は広く、岸沿いに桜の並木が続き、「いい感じ」と言いたいところ、川の水がどす黒く、異臭もするようで、興醒めです。雅叙園の前を通り過ぎ、さらに進んで、東急・目黒線の高架橋の下をくぐり、更に歩いて、五反田駅前を9時半頃通過。東急・池上線の高架橋をくぐり、山手線の線路下を通ってと、昨日に続いて今日も川と鉄道線路の交錯が繰り返されます。大崎駅の北側を通って、目黒川は山手線・横須賀線・東海道新幹線の高架橋の下を潜り抜け、その次に東海道線の東側へ出ました。

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国道一号線(第二京浜)、この地下には都営浅草線が通っています。これを越えると、道は歩行者専用の緑道に変わり、野良猫がマッタリ寛いでいたりします。道なりに進むと、東急・大井町線の荏原町駅にぶつかります。あとで地図で確認したら、駅の西側の踏切を渡れば迷わなかったものを、東側の踏切へ大回りして、線路北側の「立会道路」の始点を見失う。見当で北へ歩き、池上線を越えてしまったので西へ方向を転じ、中原街道を西へ渡って、直線見通しの利く道が、下って、再び上っているのを発見、川筋ならば下りきったところのはず、と見当をつけて歩いていくと、ようやく「立会道路」に復帰!このあたりでは、道の両側に立派な桜の並木を配した、一方通行の普通の道路です。あとは、道なりに歩き続け、午前11時少し前に、地下化の工事が完了しようとしている東急目黒線の旧踏み切りに到着。西小山駅は、すぐそばです。立会道路(旧・立会川)は、ここから西北、転じて西方向に伸び、円融寺の前を通って、碑文谷八幡宮あたりで川筋を辿れなくなります。一部、旗の台駅付近は道を外れてしまいましたが、これをもって、「旧・立会川踏破!」ということにします。それにしても、河口から、鉄道を随分横切りました。
ゝ?裕濤埓?↓JR東海道線、JR横須賀線・東海道新幹線、づ埀鎮浪偲汗?霎?↓ヅ豕淆膂翊線、ε豕淬咯綫?↓東急目黒線、ふー、疲れた!

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刑場跡を後に品川区民公園に入って、野球場やテニスコートの間の小道を北へ抜け、勝浦運河から、立会川の河口部が望めます。本日の目標は、この立会川を遡り、東急・目黒線の西小山駅付近まで辿ること。というわけで、少し迂回して、川岸の道に出て、じきに京浜急行の、其の名もズバリ「立会川」駅です。駅をこえ、暫く歩いていくと、川が暗渠化され「立会道路」という表示のある緑道にかわります。東芝病院の前を歩いていくと、JRの大井町駅付近に到達。いったん線路で途切れますが、線路西側から再び緑道(というか、グリーンベルト?)が始まりますが、じきにおわって、一見、普通の道に変身。ただ、微妙な道幅、必然性の無い一方通行、中途半端に広い歩道、6トンの重量制限の表示など、自称「旧・河道歩きスト」の目からみれば共通する特徴はまぎれようもありません。ニコンの本社?の裏を抜け、JR横須賀線・東海道新幹線のガードを潜り更に歩きます。

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大森貝塚公園の北側の地下道で線路の下を東側へ潜り抜け、桜並木の道を東方向へ進み、京浜急行の高架橋の下を通り第一京浜国道を渡ったところに、木立のある一角が見え、そこが「鈴が森刑場跡」でした。「大経寺」は、手元の旧いガイドブックの写真とは似ても似つかぬ「普通のガレージつき家屋」のように改築されていて、いいささかおどろきましたが、「首洗いの井戸」「磔台」「火炙台」など、おどろおどろしいアイテムが残っています。この地で処刑された「有名人」には、天一坊、八百屋お七などなどとのこと。江戸期から明治初年にかけての仕置き場のうち、小塚原刑場跡はさきに訪ねましたが、こちらは、国道に挟まれた狭い三角地、あけっぴろげすぎて、拍子抜けする感じでした。

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